この海に居ること

人生ゲームの消化試合

人は本当に幸せになれるのか

子どもは、親に育てられる(一般的に)。だが、その親だってかつては子どもであり、親の親に育てられている。親と子では年齢が離れているから、生きる時代背景や主流の価値観が大きく異なる。自分とは異なる考え方を持つ子どもに対して多くの親は否定的だ。「そんなのは間違っている」「こうしなければならない」と言って、子どもを叱る親がほとんどだろう。子どもにとっては、自分の世界の中でかなりの割合を占める親の意見に従わないといけないのかと思ってしまう。親に怒られるからこれをしては良くない、親がダメだというからこれはダメなんだ、自分のしたいことをすると親の機嫌が悪くなるから、我慢しなければならない、言うことを聞けば褒められるし良い子とし扱われるから、もっと我慢しなければならない…

 

こういう子どもが大人になったら、人格はどうなるのだろう。我慢することが当たり前で、他人の顔色をうかがって、なるべく自分の意見は言わず、言われたことに対しては一生懸命やる。でも、本当にしたいことが他にある。でも一歩を踏み出す勇気がない。これまで躊躇し続けてきたから。今以外の生き方を知るのが怖い。不安で仕方ないから。みんなと同じでいれば安心だし、自分がどこかに所属していなければならない。それは、幸せなのだろうか。安定した生き方、レールの上の「幸せとされること」をなぞって生きることだけが幸せなのだろうか。

 

この世界で生きることが苦しいと感じる人が多いのはなぜだろう。どうして辛いと思うことし続けなければいけないのだろう。生きるため?でも、僕らは等しくいずれ死ぬ。