この海に居ること

人生ゲームの消化試合

仕事に耐え続け、人は心を失う

仕事は人生を良くするための手段であり、人生は仕事をするためではないと僕は思う。

 

だから、仕事で嫌な思いをし続けることは当たり前であってはならないと思うし、それに耐えることは普通では無いと思う。

 

でも、仕事はつまらないもんだとか、理不尽なことばかりだとか、給料もらってるからしょうがないとか、いろんな人がいろんなところで我慢し、諦めている。それを何十年も続けたら人はどうなるのだろう。

 

自分の耐えてきた過去より、いい目を見ている他人は羨ましく、妬ましい。自分にとっては当たり前だったことを他人がしていないことに、理解を示せない。

そして、他人に敵意を表したり、他人を傷つけるような発言も正しいと思ってしてしまう。

 

誰かが他人のために役立つために始めた仕事や、社会を良くしようとして立ち上げた仕事、本来人々を幸せにするための仕事をしている人たちが、歪んでいき、多様性を失い、人を傷つけてしまうのではないだろうか。だとしたら、人間とはとても悲しい生き物だと思う。

 

傷つけられた人は、傷つけられた事に深く悲しみ、時には傷つけられた相手を傷つけようとする。

でも、人は1人では生きていけないから、自分が傷ついたことを悲しむ人がいる。だから、相手を傷つければ悲しむのは相手以外にもいるのだ。悲しみは広がる。

 

人に迷惑をかけないことは正しいという風潮があるが、人に迷惑をかけられず生きることができる人などいないだろう。

だから、他人の振る舞いに対してもっと寛容な社会になればいいのにと思う。でもそうなると他人を傷つけていいと思う人が必ず出てくると思う。他人を傷つけても、それを受け入れろと主張してくるだろう。

 

悲しいなあ。

 

この社会ではみんなと同じであることがよしとされる。そう信じて疑わない「大人」が多すぎる。

今日は我慢できることも明日は我慢できないかもしれない。あなたは得意だからできても僕は不得意だからできないかもしれない。逆もまた然り。1人として同じ人間はいないのに、みんあやってるからお前もやれ、が多すぎる。強制する側もされる側もそれが当たり前だと思って、何年も続けて、人は幸せを失っていくのではないか。

 

人って、本当に悲しい生き物だと思う。