この海に居ること

人生ゲームの消化試合

ソフビ玩具のなんとも言えない良さ〜想像力で遊ぶ〜

ソフビ人形やおもちゃといえば、僕の中では圧倒的にウルトラマンだ。しかも、昔のウルトラマンのソフビは微妙に劇中のウルトラマンに似ていないものが多かった。今は結構リアルだけど。可動部分もあるが、両腕(肩?)・腰の3箇所のみだ。でも、ポーズ固定のフィギュアよりこちらで遊ぶ方が楽しかった。高価なアクションフィギュアの存在も知らず、素材もある程度柔らかいソフビは子どもがガシガシ遊んでも塗装がハゲるくらいで(コレクターから見れば致命的)怪我をすることもない。でも、可動するとはいえ可動箇所が少なくテレビで見るようなポージングはできない。それなのに、なぜ楽しめていたのか。

 

僕は、足りない部分は想像で補っていたからだと思う。頭の中で描いた空想は自由であり、手にしたおもちゃを使うことでより具体化される。目の前のおもちゃが本物と微妙に顔とかがに似ていなくても想像で補う。可動箇所の少なさも想像で補う。目の前のおもちゃは頭の中を具現化するための媒体だ。そんなこと考えながら遊ぶ子どもなんていないと思うけど、なぜ楽しかったのだろうと考えると、これも答えなのかと思う。手にしたウルトラマンティガのソフビ人形が、ゼペリオン光線を撃っていると頭の中に描いたのなら、本当に撃っているのだ。

 

子どもは遊びの天才だ。想像力が違う。大人は、あれもダメこれもダメ、できるわけがない、くだらないとどんどん世界を狭めていき、諦め、考えることをやめがちだ。子どもの頃、何が楽しかったのか、どうやって遊んでいたかを思い出すと、人生に輝きを取り戻せるのかもしれない。

 

今日、ポケモンカイリューのソフビを発見した。なんだか、いたく気に入ってしまった。このソフビを見た途端、「優しいな」って思ったし、子どもがこれを手にしたらワクワクするだろうなと思えた。このおもちゃは、他でもない子どものためにあるのだと強く思った。子どもが楽しめるものってなんかすごくいいと思う。

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これを機にPokemonGOの相棒はカイリューにしようかしら。。

 

ウルトラマンティガの最終回が大人達の頑張りではなく子ども達が光となることで邪神を撃ち倒したってのはご都合主義との意見も見たけど、見ていた子ども達に一体感を与え、希望を与えられるあの展開こそウルトラマンにふさわしいと思う。子どもが見て、夢を持つことのできる作品なんて最高じゃないか。ポケモンもだけど。

未来を担う子どもに、絶望的な現実を用意するのではなく、希望を与え希望に満ちた未来や社会を用意するのが大人の役目だと思う。そしてそれは、結果として大人達にとっても住み良い社会となるのではないかとも思う。子どもも大人も生き生きと暮らせる社会の方が良いに決まっている。

 

ソフビひとつでここまで話が飛躍する自分、つくづく考えすぎだよなぁとか思います。