この海に居ること

人生ゲームの消化試合

実物主義

別に自宅から一歩も出てはいけないわけではない。近所を散歩したっていいし、人と接触しない外出なら問題ないはずだ。しかし、外に出る気力すら湧いてこない。なぜだろう。今は諸事情で(コロナの影響もあるが)ずっと自宅にいていい状況なんだけど、生活にメリハリがない。毎日似たような日々の繰り返しだ。得られる刺激に物足りなさを感じてしまう。家の中で出来ることもあるししたいこともあるっちゃあるのだが、今自分が1番したいのは全国のいろんな美術館・博物館を巡ることなのだ。これに関しては、今年1月の第2週目から、ほぼ毎週末まずは自宅周辺の美術館を巡っており非常に面白くなって今年の、ひいては今後のライフワーク的な目標になろうとしていたことだった。美術館、あるいは博物館という施設の中で実物の資料を鑑賞するのは本当に自分にとっていい体験であった。funというよりinterestingな楽しさがあった。自分が正しい方向に向かっているというか、自分の道を見つけたような気さえしたのだ。そういうのが軌道に乗り始めたところで今回のコロナ騒動だ。どこもかしこも閉館してしまっているし、何より自分が知らずに保菌者となり媒介しそれにより誰かの家族が万が一亡くなることがあれば僕は責任を取りきれないし、そんなことを抱えて生きていくのは辛すぎる。

 

でも、今Web上で見られるバーチャル博物館は、自分の美学から外れてしまう。3月末くらいまでのわずか3か月程度だが、実際に足を運んで美術館・博物館を訪れる中で感じたのは、本物を自分の目で見るという行為の素晴らしさである。本物の資料がまとう雰囲気、大きさ、色、質感、それらは実物を前に対峙して初めて感じることができる。画面越しの体験だと、どうしても画面よりは大きくならない。また、実際にその地に足を運ぶことで、その土地の知らなかった特色を知ることができる。これも、画面越しのバーチャル体験ではわからない。そこから興味が派生する。行けば行くほど知らないことは増えるけど、知りたいことも増える。そうやっていろんなことを調べていくうちに、点と点が繋がり線になる。その瞬間がたまらなく好きだ。だから僕は、実際に自分の足を運んで色んな美術館や博物館を体験したいのだ。でもコロナがいつ落ち着くか全く見通しが無いんだよな。本当に辛い。辛い。

 

実物主義といえば、僕は好きな音楽は音源のダウンロードではなく極力CDを買っている。大学生の時博物館に関する講義を一通り受けてから、実物としてとっておく大切さとかも自分の中に落とし込んでいて、物は増えていくけどCDで音楽を買っている。CDをプレーヤーに入れる動作が好きだし、歌詞カードが付いているのも良い。歌声も楽器の1つとして聞くから歌詞は興味がないという人もいるけど、僕は歌詞もすごく気にする。美術作品にしろ歌詞にしろ、誰かが何かを表現しているのを見るのが好きなのかもしれない。

 

とはいえ、やっぱり今1番したいのは外を巡り巡ることだから、それを抑えて自宅に居続けるのが辛い。親と同居するストレスからか、寝ても寝ても眠いし、寝ても頭はぼんやりするし、あんまり色んなことに集中出来なくなってきてる。そんな自分に焦りを感じる。これでいいのだ、今はそういう時なのだ、長い目で見れば大丈夫、とか自分に言い聞かせたいけどなかなかうまくいかない。家でくすぶってるこの状況にイライラしてしまう。でもどうすることもできない。若干の絶望すらも感じる。いったい自分はいつまでこんなメリハリのない生活を続けるのかと。でも、一度寝て起きると頭がぼんやりするから色んなことがどうでも良くなってしまう。夜はもう少し起きていたいなって気持ちが強まってなかなか寝たくならない。一日中で合計で10時間以上寝ている。昼寝しても眠い。朝起きても数時間すれば眠くなる。あーあ、明日もクソみたいな1日なんだろうか。。。