この海に居ること

人生ゲームの消化試合

欲しいモノを買い続けても棚の肥やしになるだけ、なんだけど…

このところ、というか前から思ってたことがある。本当に欲しいおもちゃやモノって少ないんだな、ということ。買ったモノそのものを楽しむというより、買う瞬間一番興奮のピークなんだな、ということ。つくづく自分は物欲に支配されている、ということ。わかっていても欲しいモノがまた新たに出てくるということ。

 

欲しいモノは生きている限りどんどん新しく世に生まれてくる。例えば僕はウルトラマンシリーズが好きだけど、ウルトラマンはもはや世代を超えて広く愛されているコンテンツなのでこの先も新しい商品が生まれるだろう。その中にはとても欲しいと思えるものもきっとあるだろう。でも、そうやって欲しいモノを手に入れ続けると、部屋の置き場がなくなってくるのである。初めは1体だったフィギュアも、2体3体と増えてくる。それぞれをもちろん大事にするんだけど、数が増えれば1個に注げる時間や情熱というか愛が少なくなりがちだ。初めて買った好きなコンテンツのグッズを愛するように、全てのグッズを愛するのは無理だと思っている。時間が足りないし、そのうち、「あーこれは正直要らなかったかもな…」ってのが必ずあるからだ。また、よく鑑賞したり手に取っているうちに、「惜しい部分」というのを発見してしまう。アルティメットルミナスシリーズなんかそうだけど、造形は非常に素晴らしいし、劇中同様ウルトラマンの目とカラータイマーを光らせることができる。だが、これが素晴らしいかつ惜しい部分なのである。発光電池なので、ずっと光らせておくと当然消耗する。だから、ちゃんと見たい時以外はスイッチは切っておく。となると、通常時は目もカラータイマーも発光しておらず、見た目がちょっと微妙なのである。フィギュアは顔がとても大事だと思うけど、やっぱり目が暗いウルトラマンにはどうしても違和感があるのである。違和感があると、なかなか鑑賞しなくなる。そうこうするうちに次のモノへ目移りし、以前買ったモノを愛でる機会が減っていく。それを繰り返し、愛でる間隔が大きくなっていく。そして、本当に好きなモノは頻繁に鑑賞するけどそのうちあんまり見ないものは棚の奥や別の場所にしまってしまう。でも捨てるには惜しいのでどんどん溜まる。年月が経ち、モノで溢れる部屋の完成だ。

 

僕は4〜5年前、ガチャガチャにハマっていた。ガチャガチャのフィギュアはクオリティこそカプセルトイとしてそれなりなんだけど、そこが良くて結構集めた。でも、だんだん置き場に困ってきた。次々とリリースされる新シリーズ。気づけば、昔回したモノはあまり見なくなっていた。そして、新シリーズで自分が欲しいと思ったラインナップでも、目当てが出てもその瞬間がピークだと、ある時気付いてしまった。僕はガチャガチャという行為が好きなのだと。モノを集めるのが好きなのであって、そのモノ自体は意外となんでもいいんじゃないかと。そして、なんだかガチャガチャをやるのがバカらしくなってしまった。今ではほとんどやらなくなってしまった。

 

ここまでだと、「欲しいモノはよく考えて、本当に欲しいモノだけを買おう」的なまとめがふさわしいかもしれない。でも、狭い棚に追いやってしまったガチャガチャや、昔買ったおもちゃとかも、時々見返すと、やっぱりすごく趣があるのである。ああ、いい商品だな、と思う瞬間がある。手に入れた当時より好きになることがある。ウルトラマン系なんかは子どもの時に買ってもらったのを引っ張り出してきたらこれがなかなかクオリティも現代のモノに負けず劣らず良いのが多々ある。だから、欲しいと思ったものはやっぱり何かしら理由があって欲しいと感じるのであって、そこに「めちゃくちゃ欲しい」のか「できれば欲しい」といった程度が存在するだけなのかな、と思う。欲しいモノは手にれられるなら、置き場があるなら手に入れておいて、何年か経った時買った当時より好きになる瞬間が来るかもしれない。やっぱり要らないとなれば捨てるなりすればいいし、そして自分の嗜好を理解していくのもいいと思う。ミニマリストには理解されないかもしれないけど、欲しいと思ったモノは買ってもいいのである。とりあえず、でもいいのである。結局は自分の人生なのだから。